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春日神社【佐世保市吉井町】

ご祭神・ご由緒

ご 祭 神

春日(かすが)(すめ)大神(おおかみ)

 

天照皇大神(あまてらすすめおおかみ       最高至貴の大神

(比 売 神) ひめがみ    安産・縁結び・夫婦和合の神

※春日四神の内「比売神」は天照大神との信仰が各地にあります。当神社では天照皇大神を主祭神としてお祀り申し上げております。

天児屋根命あめのこやねのみこと     学業成就・受験合格・諸願成就・政治の神

 経津主ふつぬしのみこと     武徳・勝運・交通安全・災難除・地震除の神

  武雷たけみかづちのみこと     武徳・祈雨・病気平癒・災難除・地震除の神

 

 

 

◆ 殿神 (ご一緒に祀られている神様)

稲荷いなりのかみ     商売繁盛・五穀豊饒・生業守護の神

須佐之男(すさのおのみこと    疫病退散・武勇の神

大山祇おおやまつみのかみ     山の神・武徳・酒造の神

 

 ◇ 末 社 (境内に建つ祠)

若宮(わかみや)(じんじゃ)保食(うけもちのかみ))  衣食住・五穀豊饒の神

庚申(こうしんしゃ)猿田彦神(さるたひこのかみ))  位除・開運・交通安全、旅行安全の神

 

ご 由 緒

 春日神社は、奈良の春日大社より御分霊を勧請して鎮座し、社伝或いは境内から出土した石器・土器などにより千年古来の古社であることが知られています。

 

また、長享2年(1488)に神社裏山の頂から現在地に遷座 (せんざ)したことが現存する棟札に記録されており、よって令和元年でご遷座満530年になりました。古くは春日四所大明神と称し、旧吉田村の総産土神(旧社格・村社)として幾星霜の歴史を刻んできました。

 

田んぼに囲まれて、こんもりと茂る鎮守の杜。境内入口に夫婦の如くそびえ立つ真木の大木や、珍しい常盤柿(当地で吉田柿ともいわれる)の古木をはじめ貴重な樹木で形成され美しい景観をなしています。 

 

なお、当神社のご鎮座伝説にちなむ、「大楠」と「逆さ蘆(さかさよし)」は現在でも森の一角に栄え、太古のロマンを感じさせてくれます。

 

※因みに明らかな記録としての当神社棟札、平戸藩史料より主な出来事を挙げると、

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◇長享2年(1488)宝殿の再建大野治郎左衛門

◇明応3年(1494)宝殿再建吉田豊前守

◇寛文7年(1667)吉田村一ケ村の宗廟となり、社殿造営、祭費米三斗四合一勺。

◇天和3年(1683)石鳥居建立(現存=二の鳥居「天和鳥居」)

◇享保3年(1718)末社猿田彦大神宮の祠再建(現存=庚申社)

◇元文4年(1739)若宮大明神・稲荷大明神の宝殿建立

◇宝暦8年(1758)春日大明神御宝劔奉納(現存)

◇天明5年(1785)春日大明神奉再建御神鏡四躰  太守松浦壱岐守源朝臣清公(現存)

◇享和2年(1802)奉再建矢大臣二体  松浦壱岐守源清公御武運長久守護(現存)

◇嘉永2年(1849)春日大明神奉彩色保古良(祠)四躰  大檀那松浦壱岐守源朝臣曜公(現存)

  

又、藩主の信仰を示すものとしては、寛政元年(1789)に美濃守橘祇美によって平戸藩主参詣のために見聞された当社の縁起書や、宝暦8年(1758)には神社の御宝劔が春日神社古来の宝劔として特別の藩主命により研かれ、平戸城内に於いて披露されたという記録がある。これらのことから、藩主の当神社へ対する信仰は特に深かったものと思われる。

 

※近年では、

◇明治4年、吉田村一ケ村の産土神として旧平戸藩主から祭米一石六升七合三勺が渡され、

◇明治7年には社格「村社」に列格、祭費料十三円交付。

◇明治27年現在の社殿が造営され、

◇大正2年6月27日に神饌幣帛料指定村社に指定。

◇平成11年「春日神社御遷座五百年式年大祭」斎行。同記念事業として社務所・参集殿の新築。

◇令和2年、天皇陛下ご即位奉祝、春日神社御遷座五百三十年記念、境内整美事業竣功。